障害者というと最初に思い浮かべるのは、車いすに乗っていたり、盲導犬を連れていたりという方という人が多いのではないでしょうか。
つまり、目で見てすぐに、この方は障害があるんだ、とわかる状況を想像します。
目に見える障害については以前より理解が進んでいるように思います。
車いすの方が駅員さんの助けを借りることで、付き添いがいなくても電車を乗り継ぎ、名古屋駅から京都駅までいけます。
視覚障害のある方が駅のホームを安全に利用できるようにホームドアの建設も進んでいます。
最近のレストランは車いすでもそれほど困らず利用できるように作られています。
障碍者用のトイレや駐車場スペースもかなり増えました。
しかし、一見すると障害者とわからない方々に対してはどうでしょうか。
今日は、【人に対する思い込み】という心理学の側面から、障害への対応の勘違いについてまとめたいと思います。
そもそもそういう障害があることを知らない
ドラマなどで障害者が出てくると、車いすに乗っていたり、手話を使っていたりと、視聴者にわかりやすいような形をとることが多いです。
ドラマはそれでもいいですが、結果的に障害を持つということに対し、勘違いをしてしまうのです。
健常者に見える人は健常者に違いないと。
障害に対する知識も世間一般に対してはかなり不足しています。
人は自分で知っている範囲でしか物事をとらえることができません。
一見健康そうに見えても、精神に障害を抱えているために、同じことをやるにも疲れを覚えやすいということがわかりません。
高次脳機能障害のために左側が見えにくいという障害があることを知らないと、なんでここにあるのにわからないの、ということになってしまいます。
味覚障害のためにかなり偏った食生活しか送れない人をみても、わがままを言っているようにしか感じられません。
絶対的な知識がないと、知的障害があるので24時間で時間を表すことができない人に、「13時」ではなく、「お昼の1時」と言い換える必要がわかりません。
障害者を利用しようとする人もいる
なんでもそうですが、理解しようとしなければ理解できません。
最初から障害者を都合よく利用しようとする人は、障害の特性に合わせた対応を理解する気などありません。
聴覚障碍者を障害者雇用で雇いながら、同じ職場の人が、その人を聴覚障碍者と知らずにいて誤解されるに至っては、そもそも本気で会社として受け入れる気があるのだろうかと思います。
軽度知的障害者が犯罪に手を染め、刑務所に入る割合が、そうでない人に比べ多いのも同じです。
理解力が劣ることを利用する人間がいるのです。
利用しようとする人たちが大手を振っているような環境では、どう接することが障害者にとってよいのか、など考えていないので、思い込みで動いてしまいます。
どうせわからないだろう、まあこのくらいは大丈夫だろうと何の根拠もなく決めつけます。
結果的に障害者からみれば勘違いされた行動になってしまいます。
まとめ
軽度の発達障害や精神障害など、ごく普通にみえる方が、自分はこんな障害を持っていると、かかわるすべての人に説明して回るわけにはいきません。
もちろんすべての障害を理解してほしいなどというつもりはないです。
でも、言葉を発しない人がいたら、「もしかしたら話すことができないハンディがあるのでは」、というように、とりあえず最初に障害の可能性を考えることができるだけでも違うと思います。
冗談を理解できなかったり、音に敏感すぎて静かな環境のなかでないと生活できない人もいます。
障害理解とは、自分の常識がすべての人に当てはまるわけではないということを知ることから始まります。
栄養を考えた食事をきちんととることは大事です。
でもそれを味覚障害のある人に押し付けたらただの無理解です。
相手の世界をすべてわかれとまではいいません。それは無理です。
でもせめて、わかろうとする姿勢だけは忘れないでください。
それが障害者だけでなく、すべての人にとって生きやすい社会につながると思います。