内緒にしたい心理学テクニック

心理学カウンセラーの先生から教えてもらった心理学の勉強ノート

なぜ、あおり運転をしてしまうのか?

高速道路で遅い車が前を走っていると、ちょっとイライラしてしまいます

イライラする気持ちは分かるけど、そのイライラはどうするの?

どうしようもないと思って諦めるけど、、納得いかない感じも、、、

「諦める」「納得いかない」それらをコントロールできないから、あおり運転のような行為が起きるんだよ!今日はあおり運転についてアプローチしますね

東名高速道路で2017年6月におあり運転が原因で死亡事後が起きています。

この事件をきっかけにあおり運転について、かなりマスコミで取り上げられるようになりました。

しかし今でもあおり運転は起こっているようです。

しかも、悲惨な事故が起こったにもかかわらず、ネットの意見は必ずしもあおり運転に否定的なものばかりではないのです。

なぜあおり運転をしてしまう人がいるのでしょうか?

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そもそもあおり運転とは何か

あおり運転とは、前方または周囲の自動車・自動二輪・自転車を脅かし、挑発して、運転に際し危険を生じさせる行為です。

車間距離を過度に詰めたり、クラクションを不必要にならして脅かしたりするので、一般道路でも十分危険ですが、高速道路はなおのこと危険です。

軽いものであれば、後ろの車がたまたま急いでいて余裕がなく、無意識に車間距離を詰めてしまったということもありえます。

後ろの車の問題というより前の車が遅すぎたというように、必ずしもあおろうと思ったわけではないが、前の車の運転手はあおられているように感じることもあるでしょう。

適切な距離が人によって違うことで勘違いされることもあるかもしれないです。

そのため一般論として、すべてのあおり運転に対し否定的ではないのもわかります。

前の車のあまりの遅さにいらいらした経験は、たいていの方があるでしょうから。

その程度の話であれば、ただの勘違いですむのですが、中には本当に危険なあおり運転を意識的にやっている人がいます。

問題になるのはこのような悪質なあおり運転です。

しつこくターゲットの車を追いかけまわしたり、ひどいケースになると無理やり停車させて暴力をふるってきたりします。

ここまでくるとあおり運転に、脅迫行為とか暴力的とかの言葉をプラスしたほうがいいのではないかと思うくらいです。

悪質なあおり運転はなぜ起きてしまうのでしょうか。

怒りで我を忘れてしまう

悪質なあおり運転をする人は、何かきっかけがあります。

パーキングエリアで、些細なことで注意されたとか、たまたま近くを走っていた車が不注意で割り込むような運転をしてしまったなどです。

問題は、それほどたいしたきっかけではないということです。

少なくとも命をかけたり、刑務所に入るリスクを冒したりするようなことではないのです。

ほとんどの方は少し気分を害することはあっても、それですませます。

しかし中には、突然わいてきた怒りの感情をコントロールでできず、我を忘れて追いかけまわしてしまう人がいます。

たいていの人は怒りの感情をある程度コントロールできます。

怒りでトラブルを起こすことが皆無の人はさすがにいないと思いますが、身を亡ぼすようなことはしないです。

しかし悪質なあおり運転をしてしまう人は、怒りに心を支配されてしまいます。

なぜ感情のコントロールができないのか

自分の気持ちを抑え、我慢することは、生まれながらにできるわけではありません。

成長する中で訓練していかないと身につかないのです。

それだけ聞くと、幼いころわがまま放題に育てられたのではないかということで、きちんと我慢を覚えさせることが大切だ、という結論になる方が多いと思います。

これはけして間違ってはいないですが、幼少期はむしろいい子だった可能性もあるのです。

幼少期は、求められていることをそれなりにこなしていれば、いい子だと評価されます。

保育園の発表会をきちんと行い、先生の指示通りに動けば問題ないです。

小学校も、きちんと授業中座って、勉強ができれば優等生です。

子どもの適性はそれぞれです。

保育園や小学校で求められている姿で生活することが、それほど苦痛でないタイプもいるのです。

親としても、保育園での生活はまあまあちゃんとできているし、学校の成績もよいので、家庭でわがままを言っても、まあいいかと思ってしまいます。

子どものわがままは、とりあえずいうことを聞いておけば、その場は簡単に収まって楽なのです。

ただこれが子どものわがまま程度ならたかが知れているのですが、大人になるとそうはいきません。

我慢する訓練がないまま大人になると、状況が思い通りでないことに対する適応力がついていませんから、些細なことで怒りを爆発させてしまいます。

周りにとっていい迷惑な大人になってしまうのです。

自分はすでに小さな子どもではなく、周りの大人は自分の言いなりになってくれた親ではないということが、感覚として理解できないのです。

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まとめ

大人になっているにもかかわらず、些細なことで怒りをぶつけ、それで相手がどんな思いがするかに対し、想像力が働かない人を変えるのは容易ではありません。

少なくとも通りすがりの他人には無理です。

対策としては、近づかないしかありません。

正義漢の強い方ほど、明らかに非常識な行いに対し一言言いたい気持ちがわいてくるでしょうが、怒りで我を忘れる相手はこちらの言葉など耳に入りません。

住む世界が違うのですから、まともな話し合いなどできません。

もし身近でこのようなタイプの人がいても、対策は同じく、あまり関わらないようにするしかないのかもしれないです。