内緒にしたい心理学テクニック

心理学カウンセラーの先生から教えてもらった心理学の勉強ノート

【心理学的に解説】なぜ、海外に寝たきり老人がほとんどいないのか?

最近、親の老いを感じるんだよね~。

そうね、子供としては放っておけない問題よね。

普段は自分の生活でなかなか親のことまで考えられないんだけど、どうしたらいいのかな~。

親さんに、どうしたいのか聞いたことある?自分の老いや最期については、本人の気持ちが一番大切なじゃないかしら?

日本は平均寿命が世界一です。

一方で、いわゆる寝たきり老人が多いという現実もあります。

介護保険で要介護4.5がつくと寝たきりの方が多いですが、数おおよそ110万人です。

人口に対しこれだけの数の寝たきりの方がいるのは日本だけだと言われています。

何で日本だけが突出して多いのでしょうか?

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他の国と本当にちがうのか?

欧米では、点滴や胃ろうといって、胃に直接栄養を流すことは基本的にしないです。

イギリスでは日本の特別養護老人ホームで必ずみる食事介助はしないそうです。

自分で食事をとれなくなったら、人間としての尊厳は保てない、そうまでして生きていたくないという価値観が根底にあります。

日本はどうなのか?

日本ではどうなのか、といいますと、正直本音のところは、それほど大きく違わないのではないかと思います。

仕事柄、高齢者の話はよく聞きますが、ほとんどの方が、延命治療は望みません。

子どもや周りの人に迷惑をかけたくないといいます。

本音のところで、高齢者と呼ばれる年齢になったら、ほどほどのところでお迎えが来てほしいと思っている方が多いです。

さらにいえば、高齢者施設で働く職員の大半は延命治療や胃ろうに否定的です。

自分だったら嫌という声はよく聞きますが、その逆は聞いた覚えがないです。

そこそこ元気で、自分の身のまわりのことが自分でできれば長生きもいいけど、寝たきりになっても生きていたいという人もの割合はかなり少ないのではないかと思います。

日本と他国では何が違うのか?

「寝たきりになっても生きていきたい」と日本人が特別に思っているとは正直思えないです。

原因は違うところにあると思います。

一つは自分の人生を誰が決めるか、という考え方です。

自分の人生は自分が決めるというのが欧米のライフスタイルです。

ですから、本人が望まないことはしないと割り切りやすいです。

その結果、寿命が少し短くなったとしても、寝たきりで数年長く生きるより良いと本人が希望しているのなら、それでいいと考えることができます。

日本人の多くは、そこをすっぱり割り切れない一面があります。

さすがに近年、割り切れる人が増えてきた感じはします。

でも延命をしないと決めることに抵抗を感じる人は多いです。

直前まで「お母さんは点滴をしないと言っていたからしません」と言っていたのに、いざターミナル期に入るとせめて点滴だけはと家族は揺れます。

本人がそれでいいと言ったのなら、とはなかなかならないのです。

死んだらどうなるの?

割り切れない原因の一つに、死に対する考え方の違いもあると思います。

欧米の考え方のベースはキリスト教です。

キリスト教では死は終わりではありません。

天国に行くことが約束されています。天国がどんなところかは聖書の中に詳しく書かれていないのですが、悲しみも悩みもない世界なのです。

欧州におけるキリスト教人口が減っているといっても価値観の根底はそんな簡単に変わらないです。

この世で寝たきりになり生活のすべてに介護が必要になり、会話もろくにできない状態で生きているより、さっさと天国言ったほうが幸せだという価値観です。

多くの日本人は死んだらどうなるか、に対し漠然とした不安を抱えているように思います。

亡くなった人にまた会えるのかな、くらいは考えていますが、死んだらどうなるのかに対し欧米の方ほど強い確信を持っていない一面があります。

どうなるかわからないことを割り切れと言われても、むつかしいのは当然ではないかと思います。

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まとめ

日本人ならではの価値観は大切にしないといけないと思います。

ただあえて考えてみてください。

高齢になり、寝たきりになり、おむつが汚れているかどうかも分からなくなり、自分で食べることもできなくなったとします。

会話もほとんどできません。

その状態で自分は本当にそれでも生きていたいと思えるか、です。

これは価値観の問題なので、それでも生きていたいというのももちろんありですし、一分一秒でも長くいきたいという選択肢もありだと思います。

ただそれを自分が望まないのだとしたら、なんとなく寝たきりに、ということにならないように考えていく必要があると思います。

他ならぬ自分の最期をどう迎えるか、一人一人がきちんと考える必要性が、選択肢があるからこそ考えていく必要がある時代になったのを感じます。