内緒にしたい心理学テクニック

心理学カウンセラーの先生から教えてもらった心理学の勉強ノート

なぜ、スポーツ界ではパワハラが横行するのか?

高校の時サッカー部だったけど、監督の先生怖かったなぁ~今でも先生に会うと、怖いです(笑)

怖かったようだけど、結構楽しそうに話してるように思えるけど

そうなんですよ!その時は「嫌だなぁ」と思ってたりしてたけど、それ以上の感情もなかったです。だからパワハラという認識もなかったです

なるほど!今日は、スポーツ界のパワハラ問題について解説します

最近、柔道や体操の世界などで、パワハラが問題になっています。

スポーツの中にいれていいのか迷いますが、相撲界でもパワハラが問題になっています。

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昔は「体育会系」という言葉が普通に使われていて、スポーツ界において、パワハラはあって当たり前の体質がそれほど違和感なく受け入れられていました。

その時代ならいざ知らず、現在、なぜスポーツ界でパワハラの告発が相次いで起こるのでしょうか。

人の思考パターンはそんな簡単には変わらない

昭和60年代、私がまだ高校生だったころ、体育会系の部活の顧問の先生によっては、びんたくらいは普通にしていました。

市内を勝ち進んで県大会にいける部活のある高校ではなかったにもかかわらず、です。スポーツに力を入れている高校ではなかったので、体罰をする先生は1人か2人しかいませんでしたが、体罰をする先生がそれゆえにとがめられるということはありませんでした。

地方の、スポーツに関しては弱小の公立高校ですら、体罰はゼロではなく、顧問の暴言も許されている状況ですから、スポーツ推薦のある私立高校はどうだったのか予想が付きます。

すべての指導する先生が、とはさすがに思わないですが、スポーツの指導の鉄拳制裁は当たり前とまでも言わなくても、仕方がないくらいの価値観はまかり通っていたと思います。

本来、パワハラまがいの指導は、日本の伝統ではありません。

江戸時代、武士のしつけが厳しかった時代でも、藩校や郷校で体罰はほとんどなかったのです。

しかし日本に軍国主義の気風が強くなるにつれ、体罰も増えていきました。

戦時中の日本の軍隊におけるパワハラはかなりひどかったという話も聞きます。

ただ、あくまで日本の歴史の中でもかなり一時的な話なのです。

にもかかわらず、スポーツ界においてはパワハラのような指導をすることが昔から当然にあったという勘違いがあります。

自分たちはそういう指導を受けてきた、といいますが、あくまでその方々の少年時代から現役時代の話で、その祖父母の時代はまた違うのです。

昭和から平成に変わり、価値観も変わってきて、体罰についてはかなり否定的な見方が主流になりました。

問題は、スポーツ界でパワハラが問題になると現れる、スポーツ界で権威を持った方々が、体罰は当然というごく限られた時代の中で、選手として教育を受けてきた方々だ、ということです。

スポーツ界というのはかなり狭い人間関係の中で生きている世界です。

その中で、監督に絶対服従という文化が色濃く残っています。

特に指導する立場の方は、その思考回路が根付いてしまっているので、強くなるためにはパワハラも仕方がないという考えから脱却できないのです。

間違っていないと信じている方の考え方を変えるのはかなりエネルギーがいります。

まして年齢を重ねるとなおのこと、新しい価値観を受け入れることが難しくなるのでさらに厄介です。

一方、平成育ちの選手は、新しい価値観を吸収できますから、「パワハラはおかしい」と考えます。

まずはパワハラ体質が明るみになっただけでも進歩だと思います。

コーチングスキルがなさすぎる

はっきり言って、選手は監督に対し絶対服従というのは、監督にとって楽なのです。

それによって選手は文句も言わず、自分の思い通りに動きます。

目的が自分の思い通りに相手を動かすということならパワハラは有効です。

しかしスポーツ競技本来の目的は、選手を監督の操り人形にすることではないはずです。

にもかかわらず、なぜ怒鳴りつけたり、ときに手を出したりするのでしょうか。

アドラー心理学によると、人は怒りの感情をコントロールできるそうです。

つまり相手の行動がなってないから怒るのではなく、怒りをぶつけることで、相手を服従させようという目的があるから怒鳴りつけるのです。

さらに言えば、相手を自分の思い通りに動かすことが目的なら、怒る理由を見つけ出し、怒鳴りつけることが一番簡単な方法なのです。

怒る理由なんて何とでもなります。

問題は、簡単な方法がそれなりに(監督にとって)うまくいってしまうと、それが間違った成功体験としてインプットされてしまうのです。

スポーツ競技の目的は勝つことです。

そのために必死になる姿を通し、多くの人に喜びと勇気を与えるという目的もあります。

勘違いしてはいけないのは、監督がいかに楽に指導するかが目的ではないのです。

パワハラ行為などしなくても、勝利に導く方法はあるし、スポーツの素晴らしさを伝えることはできるのです。

そのためにコーチングスキルを磨く勉強をする、リーダーシップのセミナーに参加するなど、パワハラに頼らない指導方法を身に着けることは、その気になればできるはずです。

しかしそのことに気付かず、自分のコミュニケーション能力の向上を図ろうとしない指導者が、いまだに存在するのも事実です。

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まとめ

絶対服従の文化にしてしまうデメリットの一つが、言われたことしかできなくなるということです。

そうなると自分で考えて行動することができなくなってしまいます。

今の世の中求められる人材は、言われたことを忠実に行う優等生のような人物ではなく、その人にしかできない何かを持つ人です。

自分にしかできないことを持つためには、自分の頭で考え、挑戦していくことをしないと身についていかないです。

中には、「厳しく指導してくれたおかげで頑張ることができた」という選手もいます。

それは否定しませんが、何のために、何を目指して頑張るかは、本来自分で決めることです。

強制されて頑張るのではなく、自分の目的のために、自主的に頑張るのでなければ本来の力は発揮できないのではないでしょうか。

救いは、パワハラをよしとしていた時代は終わりを迎えているということです。

まだパワハラ文化が残っているところもあると思いますが、中心となる人が一日も早く考えを改めてくれることを願います