内緒にしたい心理学テクニック

心理学カウンセラーの先生から教えてもらった心理学の勉強ノート

なぜ、飲酒運転の事故がくりかえされるのか?

忘年会シーズンって楽しいです!お酒を飲む言い訳になるので!

私もお酒の席が好きなので、飲み会は参加するけど、飲まないのでもっぱら運転手してます

飲酒運転は絶対に駄目ですもんね!それでも飲酒運転の事故が起こるので信じられないです。なぜ、起こるのですか?

今日は、飲酒運転の事故が起こるのか心理学的に解説しますね!

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飲酒運転が引き起こした悲惨な事故があり、マスコミの論調も飲酒運転に対してかなり厳しいです。

飲酒運転で事故を起こしたら社会的生命は断たれるといっても過言ではありません。

事実、飲酒運転の事故の死亡率はそうでない時の死亡率と比べ9.1倍もあるのです。

もっとひどい状態の酒酔い運転となると19.5倍まで跳ね上がります。

飲酒運転をしないルールは簡単です。

お酒を飲んだら運転をしなければよいのです。小学生にもわかるルールです。

にもかかわらず、お酒を飲んだのみ運転をする人がいます。

どうして運転をやめられないのでしょうか。

なぜお酒を飲むと交通事故を起こしやすくなるのか

お酒を飲むと、脳の前頭葉と呼ばれる部分の働きが鈍ります。

前頭葉は理性をつかさどります。

理性を鈍らせてしまうのですから、正常であればスピードを抑えたり、慎重に運転する場面でも、自制心が効きません。

そうなれば当然事故を起こしやすくなります。

その他でも、多くの情報を同時に処理する能力も落ちます。

運転中は一度の多くの情報を集めなくてはいけません。

道路の幅は大丈夫か、物陰から何かが飛び出してくる可能性はあるのか、右折をする車はいないのか、多くの情報を同時に集めて判断しています。

それがうまくできなくなるので、右折する際、前方から来る車に注意をしながら、道路を渡る歩行者にも気を配ることができなくなるのです。

アルコールに対する強さは人によって違いますが、程度の差はあれ、アルコールを摂取すれば、必ず脳の力が低下します。

なぜ運転をしてしまうのか

飲酒運転で事故を起こしてしまう人がよく使う言い訳があります。

そのうちの一つが、

「自分は大丈夫と思っていた」

です。

もう一つが、

「自分は飲んでも事故を起こさないと思っていた」

です。

この言い訳に対し思わず突っ込みたくなるフレーズが、

「何を根拠にそんなことが言えるの」

です。

なんで自分は大丈夫だと言い切れるのか、なんで自分は事故を起こさないと言い切れるのかです。

根拠を示せと言われ、皆を納得させられるような理由を述べることができるのでしょうか。

絶対無理だと思います。

冷静に考えたら、ありえない理屈です。

問題は、この言い訳をする人は、ウソをついてはいないということです。

事故を起こす前、この方々は本当に、「自分は大丈夫、事故なんて起こらない」と考えています。

現実を直視する能力が不十分なのです。

おそらく普段の様子も、どこか現実を生きていない可能性があります。

自分にとって都合の良いことしか見ようとしていないのです。

とはいえ、自分に都合よく物事が進んだり環境が整ったりすることはめったにありません。

そのため、このタイプの人は現実を直視することを避けます。

そもそも自分にとって受け入れやすい事実しか受け入れず、見たくないことは、見えていても見えていないふりをします。

都合の悪い真実を直視する勇気がないのです。

そうでなければ「大丈夫と思ったから」という言い訳が許されるなどと思いません。

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まとめ

その他に考えられるのが、アルコール中毒です。

アルコール中毒でお酒が手放せないから運転をしなければいいと思うのですが、それでも運転をしてしまう人がいます。

こちらも現実を生きていないという意味では同じ問題を抱えています。

現実を生きていない人は、自分の生きていることに対し、どこか実感がわいていません。

なんとなくでも生きてはいけますが、人生をきちんと歩んでいるわけではないのです。

そのため、どこか生きることに対したんぱくです。

心の隙間を見ないふりをし、アルコールで無理に埋めてごまかしていても、時間は残酷に過ぎていきます。

自分の人生を生きていないので、人として成熟をしていけないまま、年は取っていきます。

どうやって生きるべきか、真剣に考えていないので、命に対しても軽くしか考えられなくなります。

生きることに執着していないというと言葉はきれいですが、自分の人生を大切にできていないのです。

自分の人生を大切にできない人が他人の人生を大切に考えられるわけがありません。

どれだけ迷惑をかけるかということも、どこか人ごとになってしまいます。

嫌なことからは逃げ、その日その日なんとなく生きていければいいというのも一つの価値観ではありますが、果たして人生の終わりを迎える時、「生きてきてよかった」と思うことはできるのでしょうか。

それでも誰かに迷惑をかけないなら、まだそれはそれで、その人の人生なのです。

しかし、飲酒運転は取り返しのつかない悲劇を、他人の人生に与えてしまいかねないです。

かけがえない命とはどういうことなのか、あなたの変わりはどこにもいないという言葉は何を示しているのか、一度立ち止まって考えてほしいです。

自分の人生は、あなたがちゃんと生きなくては誰も代わりには生きてくれないのです。