今月、免許更新なので免許センターに行ってきました。その際、違反者講習を受けたのですが、そのときに見たビデオがとても印象的でした。
どんなビデオだったの?
事故を起こして立ち去った場合、その後の人生がどうなったのか?加害者と被害者の紹介したものでした。
なるほど!それはインパクトありますね。今日は、ひき逃げについて心理学的なアプローチをしますね!
ひき逃げ事故の報道を聞くたびに、なんでそんなことが起きるのかと毎回とても嫌な気持ちになります。
時として犠牲になってしまった人数は複数に及び、さらにやるせない気持ちを抱くことになります。
どうしてこんな事故が起こってしまうのでしょうか。
事故を起こしやすい人がいる
人間である以上、ミスを犯さないことはありえないですし、落石に巻き込まれるなど不幸な偶然は完全に防ぐことはできません。
そのため交通事故そのものをゼロにすることは、残念ながら不可能です。
しかし、ひき逃げとなると話は別です。
事故現場から逃げようとしない限り起きないのです。
統計的に、事故をおこしやすい人というのは存在します。
そのうちの一つが、軽はずみは判断をしてしまう人です。
そのタイプはろくに確認もせず見通しの悪いところを飛び出したりしてしまいますから、当然ぶつかる可能性も高くなります。
見込みが甘い人も危ないです。
向こうから車が来ていても、多分停まってくれるだろうと考えがちです。
このくらいのスピードでもきっと曲がれるだろう安易に考えます。
そうは世の中、自分に都合よく相手は動いてくれません。
結果、事故につながります。
すぐかっとなる人も当然だめです。
かっとなると頭が怒りでいっぱいになり、周りが見えなくなります。
それが結果的に、あおり運転や危険運転につながります。
カーチェイスは映画の中でやるからいいのであって、実際にやって許されることではありません。
取り返しのつかないことになったら、割に合わないではすみません。
しかしかっとなりやすい人は、その程度の判断ですらできない状になっているのです。
あとは自己中な人もダメです。
自己中というのは基本、自分を中心に世界が回っているタイプなので、相手が自分の都合に合わせて当たり前です。
自分が急いでいたら、相手がそれを配慮してくれて当然だし、自分がここを曲がりたいな、と思ったら、相手はそれに合わせて減速するのが当たり前なのです。
これはちょっと考えれば誰でもわかりそうな話ですが、見ず知らずの相手が、こちらの都合に合わせて動くわけがないのです。
にもかかわらず、動いてくれることを前提に運転していたら、当然事故につながります。
その他にも、危険なことをあえてやりたくなってしまうタイプや、命にかかわるようなぎりぎりのスリルを求めてしまうなどもあります。
なぜ逃げてしまうのか
事故を起こしやすい考え方も問題ですが、ひき逃げをする人は、ただ事故を起こしてしまっただけではないです。
事故現場から逃げてしまっているのです。
日本の警察は優秀なので、最終的に逃げ切れないことが多いのに、逃げてしまいます。
当たり前ですが逃げないより罪が重いです。
逃げる理由はそれほど複雑な理由ではないです。
飲酒運転だった場合は、飲酒がばれないための時間稼ぎです。
飲酒している時点で判断力がおかしくなっていますから、ますます短絡的に動いてしまいます。
事故の起しやすい考え方は、そのままひき逃げの動機につながります。
多分逃げ切れるだろうと事態を軽く考えるのです。
すぐかっとなるということは、感情のコントロールができないタイプですから、逃げたいという衝動を抑えることができません。
事故を起こしたら誰だって逃げたいです。
でもたいていの人はその衝動を抑えることができるのです。
自己中ですから自分が助かるためなら、ぶつかった相手の安否などどうでもいいです。
自分さえ助かればそれでいいのです。
まとめ
事故を起こしやすく、そのうえひき逃げしてしまう人は、考え方が浅く、感情のコントロール能力が低く、自分勝手ということになります。
物事を深く考えず自己中なのですから、ひき逃げをして警察に捕まっても、自分が悪いなんて思いません。
運が悪かったのです。
さらにいえば、たまたま相手がそんなところにいたからいけないのです。
信号無視をした自分が悪いのではなく、自分が信号無視をしたタイミングで、横断歩道を渡ろうとしたほうが悪いのです。
そういう思考回路の持ち主ですから、反省という言葉を知りません。
いかなる時でも自分は悪くないのですから当然です。
反省していないですから、懲りずに同じことをまたやります。
こうなるとひき逃げを減らす方法は、この手の人物を識別し、免許を与えないことになってしまいます。
それができるのかどうかは正直わかりませんが、人は一人で生きているわけではなく、世の中も自分を中心に回っているわけではない、という当たり前の原則を、幼児期からきちんと教育していくことの重要性が、こんなところにも表れているのかもしれません。